ヴァレンタインナイト(後編【完結】)

「ありがとうございました〜。」
元気な店員の声に送られて、男性と女性は居酒屋を後にした。
「おいおい、大丈夫か?」
「もう、らめぇ。よっらぁ〜。かえりゅ〜。」
肩を貸して心配そうに聞く男性に女性は呂律の回らない台詞を言いながら、右手を突き上げていた。
「はいはい。ったくしょうがないな。」
男性はそう言いながらも少し笑っていた。そして、駅前でタクシーを拾った。
「まぁら、かえるんらぁ・・・。」
先にタクシーに乗った女性はジト目をしながら男性に言う。
「誰が帰るって言った?まあ、君が帰れっていうなら帰るけど?」
「ほぇ?」
女性は今までと違う展開に鳩が豆鉄砲食らったような顔になっていた。
「どうすれば宜しいですか?」
「らったらくるらぁ!」
悪戯っぽく笑いながら聞く男性に女性は腕を掴んでタクシーの後部座席に引っ張り込んだ。
「はいはい。じゃあ、すいません運転手さん・・・まで。お願いします。」
「はいよ。」
男性の言葉に運転手は素っ気無く答えてタクシーのドアが閉まり発車した。
女性はずっと車内で大人しくしていて一言も発していなかった。
(ほ、本当に来ちゃった!?)
内心でドキドキして話どころではなかった。男性はただ、黙って目を閉じて目的地に到着するのを待っていた。

「はい、言われた場所だけどここで良いかな?」
少しして、運転手から声が掛かって男性は目を開けた。
「ここで良いのかな?」
男性は黙っている女性に聞く。
「う〜・・・。」
女性は体を起こして周りを見る。
「ここれいいれすぅ。」
「それじゃあ、ここで。」
「3880円ね。」
「じゃあ、これで。」
男性は五千円札を渡してお釣りを貰う。
「出れる?」
「らぶん、らいりょうぶ・・・。」
そう答えて、女性は出る時によろける。
「おっと。」
転びそうになったが男性に抱き止められた。
(えへへ〜。役得〜。)
女性は変にニヤニヤしていた。
「ありがとうございました。」
その格好で男性はタクシーの運転手に言うと後部座席のドアが閉まって走り去って行った。
「さてと、私は家を知らないから。案内宜しくね。」
「は〜い。」
笑いながら言う男性に、女性は子供みたいな返事を返していた。
女性の案内でアパートの方へ移動していく。
「ここのにかいれすぅ。」
「二階!?よくいっつも酔って帰って辿り着けてたな・・・。」
男性は苦笑いしながら呟いていた。
「はれぇ?られかいるら?」
女性は二階に上がっていくと不思議そうに言った。
「ん?」
男性は足元を気にして下をずっと見ていたが、女性の言葉で思わず顔を上げて周りを見た。
薄暗い電灯に映されているには変に白く綺麗な女の子が立っていた。女性というにはまだちょっと幼い顔立ちだった。
女の子の方も見られているのに気が付いて二人の方を見た。
「みらころらいこらろ・・・。」
女性は男性の耳元でぼそぼそと囁いた。
「あそこはどんな人が住んでるか知ってる?」
「う〜・・・らしか、わかいおんなのこらった。」
「こんばんは。」
ぼそぼそと話している二人に女の子は頭を下げて丁寧に挨拶をした。「こんらおそくにどうしたろ?」
女性は女の子に聞いた。
「知り合いで、さっきお電話を頂いて着てみたのですがいらっしゃらないみたいで・・・。」
「ふ〜ん、そうなんらぁ。」
女性は女の子の答えに興味無さそうに言った。
(電話の内容にもよるだろうが、普通なら大家の所に行ってもおかしくない。それに、さっき来たっていうのは嘘だな・・・。)
男性は何も言わずに女の子を観察していた。男性をそう思わせた原因は、服に付いたチョコレートだった。ただのチョコレート跡ではなく、固まってひび割れをしていてその破片がドアの前だけに落ちていたからだった。
「大人に対して嘘はいけないな。もう用が無いなら帰った方が良い。物騒だし、君も未成年だろ?警察に補導される前に、ね。」
「そうですわね。ご忠告感謝致しますわ。」
男性の優しく言う言葉に、女の子は微笑みながら答えていたが目は笑っていなかった。男性がその目をしっかり見返していると、女の子は黙って奥の方へ歩いて行き階段から降りていく音が聞こえた。
「あのおくら!いくろぉ!」
女性は黙って二人のやり取りを見ていたが、何か面白く無くてイライラしながら言った。
「かしこまりました〜。」
男性はなだめるように言って再び女性に肩を貸しながら歩き始めた。

「思わぬ所で邪魔が入りましたわ・・・。あっちの男素面でしたわね。仕方ないですわ、今日は大人しく帰りましょう。」
十六夜はアパートを見上げながら呟くと、周りの闇に溶け込むように歩き去って行った。


「ん?甘い香り・・・。」
いつの間にか眠っていた葵はその香りで目を覚ました。
「あ、葵ちゃん。起きた?ちょっと冷めちゃったけどホットチョコレート飲む?」
そう言って春那は起きた葵にマグカップを差し出した。
「ありがとう春那。」
葵は受け取って、早速飲み始めた。
(うん、良い甘さ・・・。)
目を閉じてその美味しさを感じていた。
「どうかな?余ったチョコで作ってみたんだけど甘過ぎない?」
「うん、私には良い甘さだよ。」
「そっか、良かった。」
目を開けてからにっこり笑って答える葵を見て、安心した春那は嬉しそうに微笑んだ。
「あれ?チョコレートの香り・・・。」
「どうしたの?」
怪訝そうな顔になる葵を見て、また心配そうな顔になって春那が聞いた。
「ねえ、春那。私表で倒れていた時にチョコレート持っていなかった?」
「うん、特に何にも持って無かったよ。」
「おかしいな・・・確か春那に分けた後、自分でも手作りしてお姉ちゃんの所にもって行った筈じゃ・・・うぐっ!?」
「葵ちゃん!?うわっ!」
言いながら思い出していた葵はまた突然の頭痛に襲われて、持っていたホットチョコレートのマグカップをベッドの上に落としてそのまま頭を押さえ込む。春那は慌てて落ちそうになるマグカップをナイスキャッチする。
「葵ちゃん。駄目思い出しちゃ。」
春那は急いでマグカップを置くと、葵に向かって必死になって言った。
「ぐっ・・・あぐぅ・・・。」
(何か・・・思い出せそう・・・あと少し・・・。)
葵の方は聞こえていたけれど、もう少しで思い出せそうだったので必死に頭痛に耐えていた。
「ごめん、葵ちゃん。」
見ていられなかった春那はそう言うと、空になっていた自分のマグカップをおもむろに持つと、それで葵の側頭部を殴った。
ゴキッ!
「あっ!?」
殴られた瞬間、葵は断片だったが思い出した。恭子の居るアパートの前で自分が倒れた事を。しかし、その直後気絶していた。
「ごめんね1ごめんね!」
ぐったりしている姿を見て泣きそうになって謝りながら、春那は葵をちゃんとした姿勢にさせて寝かせていた。


「んっ・・・ぁ・・れ?」
恭子は目を覚まして、そのまんま周りをキョロキョロ見た。目の前には寝息を立てている聖一がいて、それ以外は何の変化も無かった。
(えっ・・・と・・・。)
その場で再び目を閉じながら、何があったのかを思い出していた。
(確か変なホットチョコレート飲んじゃって、その後聖一とキスして・・・。)
ちょっと思い出して、赤くなりながらも自分の唇を右手の人差し指でそっと触っていた。ちょっとドキドキしていたが目を開けて聖一を起こす事にした。


「ついにうちにきちゃったろ。あはは、あげちゃったろ。」
女性はケラケラ笑いながら言っていた。
「そうだねえ。ついにお邪魔しちゃったねえ。」
男性は笑っている女性と部屋の中を見ながら、以前のように軽く言う。
「ここまれきれ、な〜んもしないなんれゆるさないろ!」
「なんだいそりゃ。普通は逆だろう?」
女性の台詞に少し笑いながら男性が突っ込む。
「ああっ!さっきのおんなのこのほうがいいんら!そうら!ろりこんらっ!」
「おいおい、何だそりゃ。ちょっと待ってくれよ。」
女性の変な突っ込みに男性は苦笑いしながら言う。
「ろ〜せ、あらしはおばはんれすよ〜ら・・・。」
少し拗ねたように女性が言う。
「何を自爆してるんだか。私・・・いや・・・。」
そう言いながら男性は女性に近づいていく。
(あ・・・。こっちに来る・・・。)
女性はドキドキしながら黙って居た。
「俺は子供に興味はない。」
「ほぇ!?」
ちょっと雰囲気が変わって言う男性に驚いて女性は顔を上げた。
「俺が興味あるのは君だけさ・・・。」
「ぁ・・・。」
そう言うと、男性は潤んだ瞳の女性を引き寄せてキスをした。


「聖一!聖一ってば!」
「ん・・・あれ?」
かなりの間揺さぶってやっと聖一は目を覚ました。
「悪い、寝ちまったか・・・。よっと。」
申し訳無さそうに頭を掻きながら聖一は起き上がった。
「ねえ、寝る前の事覚えてる?」
ちょっと上目遣いになって恭子は聞いた。
「恭子とキスしたまで・・・かな。そこから記憶はねえな・・・。恭子は?」
「うん、同じ・・・。」
(良かった・・・。)
恭子はあった事があったことなので、自分の記憶がない時に何かしたのではないかと気が気でなかったのでホッとしていた。
「しっかし、その源ってのは何者なんだろうな・・・。普通に考えると常人じゃないよな・・・。」
「うん・・・。」
神妙な顔をして言う聖一の言葉に、恭子は素直に同意した。
「まだ、変な仕掛けが残ってんのかな?」
「分かんない・・・。」
聖一はそう言いながら、テーブルの上にある空になったペアのカップを見ていた。恭子の方は恐くなって、無意識の内に聖一の手を握っていた。
「もう終電もないし、今日は泊まって行くよ。」
「うん、お願い・・・。」
「悪い恐がらせちまって・・・。」
ちょっと声の震えている、恭子に頭を下げて謝った。
「ううん。謝る事ないよ。今夜はずっと一緒に居て・・・。」
「ああ、一緒に居るから心配すんな。」
心配そうに言う恭子をギュッと抱き寄せながら聖一は力強く言った。
「うん。」
(温かい・・・。)
恭子は安心して目を閉じながら静かに返事をした。

「しまったな・・・入るチャンスを逸したよ・・・。」
「葵ちゃん寒いよ。入るか帰ろうよ。」
葵と春那は恭子のアパートの前に居たが、二人のやり取りを聞いていて入るに入れないで居た。
「もう終電おわっちゃってる・・・。」
何とも言えない顔で、葵は腕時計を見せた。
「えっ・・・ムグッ!?」
驚いて声を上げそうになる春那の口を葵は急いで抑えた。そして、自分の唇に人差し指を当てて、目で春那に訴える。黙って春那はコクコク頷く。そこで、葵は抑えていた手を離す。
「仕方ない・・・。」
「中入る?」
「春那のおごりでカラオケBOXかファミレスでもいこっか。」
「ぇ〜。」
不満そうに言う春那に側頭部のこぶを見せる。
「あう・・・。おごらせて頂きます。」
葵は頭を下げて言う春那を少し笑いながら見た後、ドアの前を離れて歩き出した。春那は慌ててその葵の後を追った。